近状とか連休のこととか

ご無沙汰しておりますーーー

 

えー、なんで最近読書記録すらないのかといいますと、

まあ本を読んでないからなんですけど、

以前記事にしたこの本↓ですね。

yamagishi-tea.hatenablog.com

 

SFで有名なアシモフが書いた化学の一般書なんですが、

これの輪読会をやるという情報をTwitterで聞きつけましてね。

聴講者として首を突っ込んでいるんですよ。

発表者側はちょっと自信がなかったのと、想像以上に人気がありまして迷っているうちに早々と締め切りとなってしまったため、聴講のみです。

まだ途中なのですが、随分レベルが高い発表が続いているため結果的に手をあげなくてよかったな……と思っているところではあるのですが。発表者になってたら死んでましたね!!

 

で既読ではあるけどせっかくならもう一回、今度はちゃんと読むかーと思ってノート取りながら読んだりしてるので、結果的に新しい本が全然読めないという事態に陥っています。

隙間隙間で別の本を読んでいるのですが、どうしてもぶつ切りになりがちで現在あれこれつまみ食い状態です。

また輪読会中にあれこれ参考文献を教えてもらえるので、まあ気軽にアマゾンぽちるじゃないですか。積読がひどいことになってます。読み切れるんかこれ。

 

院生時代には雑誌会はありましたけど一般書の輪読会は初めてで、ふんふんと興味深く聞かせてもらっています。やっぱりあれですね。50年前の本というのがひとつこの本の欠点ですね。錬金術の研究はこの50年で大分進んでいるみたいです。

輪読会が終わるまでの当分は腰を据えて別の本は読めないないという感じです。とはいえ全然別分野の軽い本は読んだのでまたそのうち感想書きます。

 

 

またこの間の連休ですが、

最初の連休で仙台行ってきました。

特に初日がひじょーーーーーーに寒かったわけですが、去年の日光で凍えた経験を生かし、今回はちゃんとコートを着て行きました。学習している私。

ということで次回からまた旅の記録になります。

 

もう桜の季節だけど梅も見に行ったから記事にする

 丸一月記事を書かない間に戦争が始まっていました。

 皆様息災でしょうか。

 日常とはありがたいものです。

 

 

 さて寒い2月が終わったかと思ったら一気に暖かくなり、三寒四温を繰り返しつつ春本番を迎えております。桜もすっかり満開なんですが、「そういや梅見に行った時のこと書いてなかったな」と思い立ったのでその記録を書きます。

 

 3月の頭、去年と同じ梅祭り会場に行ったのですが、しかしその寒い2月のせいでちょっと遅れてましてね。

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 枝垂れが全然まだなの。

 

 よくある普通の梅は咲いてたんですけど、少し遅咲きのエリアや枝垂れ梅はほとんど開花前でした。梅祭りイベントも本来なら自分の行った日で終わりの予定だったようなのですが、一部延長する旨がHPに載っていました。

 昨年はぐるっと山を登ってから梅祭り会場まで行ったのですが、今年はその気力がなく会場へ直行しました。道がややわかりにくくて、でも何となくこっちだろーで歩いていけば着く、そんな曽我梅林

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 みんな大好き無人販売。ルート上にぽつぽつあります。当然買いです。

 

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 春だなあ。今年の2月3月は寒い日と暖かい日がばきっとわかれていて暖かい日は暑いぐらいの気候でしたね。

 

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 会場入り口で人だかりができているので何かと思ったら富士山でした。フォトスポットであった。

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 こう、写真にいい感じに撮ろうとすると霜取り?のファンがちと邪魔になりますが、目は自動でノイズキャンセルするので遠くの富士山もなかなか見応えがありました。
 富士山って毎年こんな真っ白だっけ?もうちょっと頭だけじゃなかったっけ?と思うぐらいすっかり雪に覆われた富士山でした。

 

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 会場にはちょっとだけ屋台もあります。時間が合えば、お餅なども食べられたような。ちょうどお昼時でお腹が空いていたので、匂いに誘われてたこ焼きを購入しましあた。屋台のたこ焼きって何であんなに特別感あるんでしょうね。

 

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 やっぱりこちらでもまだこれからな枝垂れさん。それにしてもいい天気で嬉しい。

 

 会場ではゴザも貸し出されていて、枝垂れ梅ゾーン以外は勝手に梅林に入ってビニールシートを広げても良いことになっています。

 と、いうことで。

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 お昼ご飯TIME。
 先ほど買ったたこ焼き(1つ食べた)と、コンビニおにぎりです。穏やかで風もなく、青空を背景に見事に咲きそろった梅の花の下で食べるお昼ご飯。最高です。

 

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 食後も去り難くしばらくダラダラした後はデザート目指してジェラート屋さんへ行きます。毎年人が並んでいますが、今年も並んでいました。人気店ですね。

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 テキパキと人を捌いていくので列の割には待ちません。今回は梅酒にしました。

 このジェラート屋さんからも富士山がよく見えます。周りに植っているのが枝垂れ梅だったので、しばらく後には絵になる風景になったことでしょう。

 

 何となくこれで帰るのはもったいない気がしたので、ちょっと離れたお寺まで歩くことにしました。お散歩続行です。

 

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 途中で「小田原鋳物研究所」なるちょっと不思議な……施設?お店?農園?を見つけたりしながら歩いて行きます。お、枝垂れが咲いてる。品種なのか、ちょっとした立地の差なのかわかりませんが、やはり枝垂れはフォルムも色も派手ですね。

 

 さらに道すがら金柑を買いつつ歩けば瑞雲寺に到着。ここも小さいながら梅のお庭が綺麗なお寺です。

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 小ぶりの八重も可愛いですよね。いろんな梅が植っているのでこのお寺好きです。

 

 堪能したので帰宅の途に着きます。ここから駅までも梅の木が多く植えられていて最後までたっぷりです。

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 駅前の和菓子屋さんでおやつを買って、今年の梅見は終了です。

 そして今週末は桜の花見です。今夜の雨で散っていないことを祈ります。
 また少し寒くなるみたいなので服装に迷いますが、脱ぎ着できるようにして向かいたいと思います。

 

 ……毎年梅の切り枝を買いたいと思っていまして、持ってる人を見たことがあるので買えることも確かなのですが、いまいちどこで売ってるのかわからないんですよね。メイン会場の探索不足かな。鉢植えというか盆栽?は見かけたんですが。来年こそは。

レトリックと詭弁 - 「SNSで見たアレ」の正体

 雪が降るとか降らないとか騒ぎになる日が例年より多い気がします。毎日寒いですね。でも桜は早めに咲くらしいですよ。

 

 

 さて普段買わないジャンルの本であるにも関わらずこれを買った時の心境や状況が思い出せないのですが、結構長いこと積んであった本を消化したので記録しますよ。

   レトリックと詭弁 - 禁断の議論術講座
   香西(こうざい)秀信
   ちくま文庫

 

 著者は10年近く前に亡くなられていますが人文学の人で修辞学がご専門。本の厚みとしてはかなりペラペラでして、前書きから参考文献ページまで入れても200ページ強というお手軽さ。文体もこれまた軽いノリで書かれているのでするっと読めてしまう本です。

 前書き曰く、この本のコンセプト自体が「ビジネスマンのための」議論術で、どんな感じかというと、

 

「つまり仕事に忙しく、議論の技術、論理的思考力などの訓練をする時間もエネルギーも、そして失礼ながら根気もない人たちのための、ということです。」

 

 ……おいこれ一番最後のが一番本音だろ悪かったな!!と思うのですが、何が言いたいかというとこういう軽めの、そしてやや皮肉っぽい文章で書かれているため気楽に読める本となってます。

 

 全体の流れは「問いは議論において非常に有効である」「それは問いを発する側が言葉を選べるためである」「では問いがもたらす効果とはどのようなものか、分解して具体例を挙げながら見ていきましょう」という構成で、三つ目が本題になっています。
 本書のサブタイトルは「禁断の議論術講座」となってはいますが、レトリックや詭弁の使い方を身につけるための講座というよりも、議論中、または側から見ていて「あっこのパターンは」と気付けるようになるための本という感じがします。

 

 というのも、一個一個の例を見ていくなかで「twitterで見たぞこの流れ」という感触によく出くわすんですよね……
 twitterを眺めていると大体いつでも誰かが誰かと喧嘩してるのが目の端に入るのですが、それとこの本が結びつくということは大体あそこの喧嘩は詭弁に塗れているということになる?まぁ所詮喧嘩だしな。レスバってやつだ。フォロー先間違えたかな……というような連想に読みながら何度かハマりました。

 

 この本のコンセプトとしてもう一つ挙げられているのは「護『心』術としての」議論術です。無神経な言葉から心を守るため、最低限のプライドを保つためにも「議論」で使われている仕掛けのタネを知っておくことはかなり有効に働きます。
 twitterのあれこれが特に過熱すると「殴り合い」の様子をみせることからも、この感触は間違った連想ではないのかなと思います。

 

 もちろんここから瞬発的にタネを見抜けるようになるためには、そしてさらにタネを踏まえた上で反撃するためにはそれこそ訓練がいるのだと思います。
 それでも議論当事者としてできるだけ詭弁に負けないために、そして第三者として騙されないためにも、問いがなぜ強いのか、という仕掛けをまとめて押さえておくべきでしょう。

 

 しかしSNSに限らず、日常の中で議論するような状況ではおそらく誰でもほぼ無意識に詭弁じみたことを口走るものです。ましてや口論ともなれば自分でも何喋ってるのかわかってないのでは、ということもよくあります。
 であれば、「護心術」を身につけることによって心穏やかに日常を過ごすことができるようになる、かもしれない。逆に日常レベルに持ち込んで反撃するようになると「理屈っぽい」とか言われる、かもしれない。

 この辺りは塩梅が難しいところです。相手との関係性にもよるでしょう。レトリックを見つけても、日常生活の中で反撃するかどうかについてはよく考えた方がいいですね。

 

 ちょいちょい著者の口が悪めですが、その分気楽に読めて良い本でした。

 

ビールの科学 - ビール好きのビール好きによるビール好きのためのビール本

 えーーーー

 

 ご無沙汰しております。オミクロン株が猛威を振るってますが生きてますか。旅行に行けず、結果一月何も書くことがなくて、当ブログにおける旅行コンテンツの比重の大きさを感じております。そのうち初詣にでも行きます。2月だけど。

 

 さてそんな間にあれこれ本を齧っては別の本へ移りという行為を繰り返していたのですが久しぶりに一冊読み切ったので感想書いてみます。

 

   カラー版 ビールの科学 麦芽とホップが生み出す「旨さ」の秘密
   渡 淳二
   講談社ブルーバックス

 

 ビール飲めないのにこんなビール本を読んでみました。
 ブルーバックスって「〇〇の科学」というタイトルの本をたくさん出しているのですが、その中の代表作と言っていい本がこれ。元の本は2009年に出ていたのですが最近増補改訂版が出ました。「カラー版」とあるように内容の更新にとどまらずビジュアル面もグレードアップしたようで、人気の程が伺えます。

 著者は元サッポロビールの人。あとがきで謝辞を述べられている相手もサッポロビールの人。………ビールの広報?と思いつつ読んだのですが、これが結構なかなか面白かったです。

 

 中身はタイトルから予測されるように、言ってしまえばビールの原料と製造方法、美味しさの成分とその評価方法、簡単な分類、ビールの歴史と世界各地のビールの紹介といったところがメインなのですが、
 著者のテンションが終始やや高めなのと、初っ端の「ビールQ&A」や間に挟まれる「国内の酒税法がらみのビール系飲料の話」や「美味しいビールの飲み方」で読みやすい構成になっているのが読んでて楽しい本である理由であるように思えます。

 

 いやその、ビールの科学本を書こうと思った時、普通に考えたら簡単な歴史の序章をいれつつ一章の頭で分類紹介をしてから材料と製造方法にさっさと移るような書き方になりそうなもんじゃないですか。
 そこに「よくあるQ&A」を持ってくるのあんまりみない話の仕方で新鮮でした。ある意味欲しい情報がなかなか来ないのですが、ここは気軽に読んで先へ進むのが良いと思います。

 前に解説済みのことを適宜再度説明したり、巻末に索引がついているところも合わせてどこからでも読みやすく、振り返りもしやすいように作ってあるなーという感じです。

 

 科学パートはどこも「へえぇ」と思いながら読んだのですが、泡が立つ仕組みの部分が一番「へえぇ」でした。泡が立つということは界面活性剤成分がどこかに含まれているのかと思ってましたが、単一の成分ではなく麦芽のタンパク質とホップのイソアルファ酸が相互作用して界面活性剤様に働いているらしいです。もちろん後から分かったことですが、うまいことできてるな。

 ビール酵母についてのパートも良かったですね。生物学まるでわからん人間なので。そもそも発酵プロセスは酵母にとっては嫌気条件の時自分の生存のために回す苦渋の回路であるそうです。酵母も普通に酸素で呼吸したほうが効率良く生きられるらしい。

 全ての酒は酵母の苦しみによって生まれているのだな……。
 人間にもその回路搭載できんかな……。

 またビール作りの主役はビール酵母であり、ビール作りは酵母のお手伝い、みたいなことも書かれていました。宥めすかして発酵してもらうんだろうなあと研究員や現場の人々の苦労が偲ばれますw 生物を相手にするのは大変です。

 歴史パートで笑ったのは、大麦に合わせるフレーバー部分がホップに決まるより前、いろんなハーブやスパイスが使われていたのですが、その中でなんと向精神性の薬草を使っていたことがある様なのです。アルコールにベラドンナ……やばい………
 そのまま使い続けていたらビールごと薬物認定されかねなかったと思うので、ホップが主流になって良かったですね。ホップになった経緯はよく分かっていないそうなのですが、実際規制されそうなとこまで行ったのかな。ありうるよな。

 

 だいたいどこ読んでも面白かったこの一冊ですが、公報っぽさが皆無かというとそうではありません。特に酒税法や健康効果のあたりは「これはポジショントークかなー」と感じます。

 酒税法絡みの話、つまり発泡酒や第3のビールが好調であることについて、「使える材料が増えて味が変わりむしろその味が受けている」という評をしていて、この部分は「それはどうかなー?」という気持ちになりました。やっぱり日本人にとってみれば「ビールはあの味である(それ以外はニセモノ)」という感覚がある人が多いんじゃないかなあと。
 しかし第3のビールが出てきてから結構経ってるので、「ビールといえば」という感覚が強くない人も増えてくるだろうとも思われます。「麦の炭酸酒」のバリエーションは今後増えていくのかもしれませんね。酒税も今後統一されていくことが決まっているので、お酒売り場の光景も移ろっていくのでしょう。

 

 

 本書の最後の方は「ビールに合う料理」「ビールを使った料理」「ビール旅行」などで、著者がただひたすらおすすめを語っている部分ということもあり、ビールを飲まない自分でもお腹が空いてくる書きっぷり。

 著者は本当にビールが好きなんだなあ、という印象が残りました。ビール大好きな方もそうでない方も、著者のビール愛に浸ってみては。

 

円周率πの世界 - 人はいかにして円周率を求めてきたか?

 明日紅葉でも見にいくかーとリュックサックにコンビニご飯とお茶、デジカメ、念のためにカッパを詰め込んで目覚まし時計をセットした翌朝、寒くてベッドから抜け出せなかったのが今年の秋の思い出です。怠惰にも程があるんじゃないかと自分でも思います。

 

 

 こんばんは。思い出がロクでもない。

 

 さてブルーバックスの軽めの一冊です。

 円周率πの世界 数学を進化させた「魅惑の数」のすべて
 柳谷晃
 講談社ブルーバックス

 

 どれだけ数学が嫌いでも苦手でも知らない人はいないであろう円周率π。算数を習っていく中で初めて登場する非循環無限小数であり、あくまで3.14は近似であることも知らない人はいないでしょう。3.141592………と何桁覚えられるか競ったり語呂合わせを考えたりしたことがある人もいるはず。
 そもそも円周率は
     「l = 2πr」
の公式で有名な通り、「円周lは直径2rの何倍の長さか」というのを表した数です。ほとんど同時に習う面積を求める公式
     「S = πr^2」
に出てくる数としてもお馴染み。あるいは以前はやった「博士の愛した数式」に登場する
     「e^iπ + 1 = 0」
を覚えている方もいるかもしれません。

 

 円周率を「半径ではなく直径で定義してしまったのは数学史上最大の誤り」という人もいますがそれは横に置いておくとして、この本はそんなπの近似値を人類がどうやって求めてきたかをさらった本です。

 冒頭に「必要な近似の精度は各文明ごとの円周率の用途によるから正確ならいいというものでもない」ということが書かれており、πの精度が高いからといって文明レベルが高いとかそういうことではないという釘が強めに刺されます。

 

 んですが………

 

 なんというかですねえ………著者自身が「こんないい値を計算できている!すごい!」という感覚から逃れられている感じがしなくてですねえ………
 もちろんズレの大きい数値を使っていた文明をこき下ろすことは決してしないのですが、最初のあれなんだったんよと思わんでもないです。

 

 この本によれば歴史の結構長い期間、アルキメデスが紀元前250年に考案した方法によってπの近似値の算出がされていたようです。
 どうやっていたかというと、まず円の内側から多角形をはめて、頂点の数を倍々に増やしながら多角系の周の長さを逐次求めていく手法です。正六角形(= 3)からスタートします。
 とにかく頂点の数を増やせば増やすほど正確さは上がっていくわけですが、多角形の近似があんまりいい(円に近い)近似ではないのと、順番に計算していく必要があるせいで計算負荷がめちゃくちゃ高かったという点です。 

 

 しかしその後ヴィエトの式、連分数の登場、そしてなにより無限級数微分積分の登場によって、原理的にはどこまでも………計算資源が許す限りどこまでも………正確な値が出せるようになりました。
 いやそれにしても微分積分のパワーすごいですね。表現手法の開発というか、概念の開発というか、「こうやって書けるじゃん?」っていうやり方が見つかるとその分野ってゴリゴリ進歩するんですね。ニュートンライプニッツも偉大だわ。

 桁数競争は現代ではもちろんコンピュータの独壇場で、31兆桁まできているそうです。ちょっと意味わからん数字ですね。そんなに求めてどうすんだという話ですが、まあいいんじゃないですかロマンですよロマン。

 

 使いやすい近似式を求める流れの一方で、πの性質を探る動きにも一章分で触れられており、こちらでは冒頭にも書いた「e^iπ = -1」へオイラーの式から迫っていく流れ、πが超越数であることの発見経緯などが書かれていました。
 一瞬数学特有の定理の台詞回しを読む必要がありますがこちらもなかなか面白かったです。定理が一歩一歩拡張されていったり別系統のとドッキングしたりする様子っておっていて楽しいです。「なるほどーーー!」っていう快感があります。

 

 

 この本の悪い癖として話がとっ散らかりやすいというか「あの話どこいった?」「えっその話にここで戻るの?」「章とタイトルとか見出しとか本文とあってる??」といった絶妙な読みにくさがありますが(特に微積編より前)、人がπを追い回してきた軌跡を見ることができる本でした。

 

天気に誘われて江ノ島へ行く

 10月終わり頃から11月の頭にかけて、季節に似合わない暖かさの週末が続きました。

 

 朝起きて、外が綺麗に晴れていて、どうも良い機構であるらしいとなれば、ふらっと出かけたくなるのは必然。最近では新型コロナウイルスのせいでそんなお出かけも憚られておりましたが、丁度ワクチン2回を打ち終わりおそらく一番抗体価が高いであろうタイミングです。今ならいけるーーーーー

 

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 はい。というわけで江ノ島に行くことにしました。湘南江の島、こちらに越してきて以来多分2回か3回目です。山方面は下山時間があるので朝早起きしないとまずいのですが海方面はまあ海に入るわけではないので気楽なもんです。

 そう、今回初めてモノレールに乗りました。一回乗ってみたかったのです。
 あれですね、結構アップダウンがある、それなりの速度で走る、そして揺れる、木や家との距離が近い、などなどの条件が揃ってアトラクション感がありました。
 これはまた乗りに来てもいいかもしれない……。

 

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 江ノ電を渡り、観光通りを抜けてやってまいりました。
 ちょっと霞んでしまっていますがここからでも富士山がちんまりと見えます。冠雪した富士山はとても目立ちますねえ。

 

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 天気のおかげか人もそこそこ。この江ノ島の入り口エリアね……めちゃくちゃいい匂いするんですよ……!!!!
 飲食店の中の方は流石に混んでましたので、外のベンチでイカ焼きをいただくことに。前回食べそびれたので今回はガッツリといただきました。念願が叶った。

 

 江ノ島はごつっとした岩山の形状をしているため、観光しようとするとひたすら登っていくことになります。階段が多くてしんどいのでエスカレーターも用意されているという観光地っぷりですが運動不足解消のため頑張って歩くことにしましょう。

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 神社からの眺望がこれ。入り口が海抜ゼロメートルだったことを思うと一気に上がっていることがよくわかりますねー。

 

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 漁船でしょうかねー?

 

 途中の眺めが良くて美味しそうな食事処やカフェに入ろうかどうか迷いつつなんだかんだ歩いていると頂上(?)へ到着します。

 なぜか分からないけれど有名なのかたこせん屋さん行列ができていたため釣られてたこせんをいただきました。さっきイカ食べたけれど。

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 休憩したらまた出発です。ここまで上りがかりでしたがここからは平坦、そして下り多めです。島の裏側へ向かって降りていくイメージですね。

 

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 断崖絶壁、海に向かって切れ落ちています。下から上へ見上げてもなかなかの高さを感じます。岩の島ですねえ。そして御多分に洩れずトンビが飛んでます。油断してると手に持ってるもの攫われるので気をつけましょう。人が周りに大勢居ようと突っ込んできますからね。

 

 島を横断すると岩礁エリアです。潮が引いていたのか岩の上を歩けました。とはいえ濡れた岩はひじょーーに滑りますのであまり無茶はせず行けそうなところだけ。

 岩の先の方では大勢の釣り人が糸を垂らしていました。何が釣れるんでしょうか。釣りはさっぱりなんだ……。

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 観光スポットになっている洞窟があるのですが、人数制限をかけているのかすごい行列になっていたため断念。3枚目の写真に赤い柵の橋が映っていますが、これの奥方向ですね。こうしてみると入り口は結構高い位置にありますねえ。どうやってできたんでしょう。

 

 島の入り口からここまで基本的には一本道。帰るには今来た道を戻るか、船です。

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 その名も弁天丸。江ノ島にかかっている橋の中程へ送ってくれます。歩き疲れたのでこれに乗って帰りましょう。

 

 いい運動をしたところでお昼ご飯を食べていなかったので江ノ電七里ヶ浜へ移動。
 江ノ島といいますか湘南といったら生しらすみたいなところがあるのですが、前回来た時確かしらす丼食べたので、この日は海辺のカフェなんて洒落たところへ入ってみることに。

 昼食というよりはおやつ時に近かったため、食事らしい食事ではなくフレンチトーストアイス乗せメープルシロップひたひた掛けバナナ添えという「お前何のために今日運動したの?」なメニューを注文。

 見よ。

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 ふおあああああああ女子っぽいいいいいいこういうの食べるのいつぶりだああああ??これが幸せだああああああああああ

 ……パンケーキ屋のメニューとかみてても思うのですが、これ食事として提供してるのかおやつのつもりなのか、どっちなんでしょう。
 そしておばちゃんの胃にはね……ちょっと途中で苦しかったよね………とっても美味しいのにね………悲しいね……

 こういうものを何歳になっても食べられる体でありたい。

 

 本を読んでいるうちに日が傾いてきたので浜の方へ行ってみることに。日も短くなってきましたね。結婚式の前撮りらしき人たちもいました。ドレス汚れないんだろうか。

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 海に来たのそういやいつぶりですかねえ。一番ありそうなのが横浜のみなとみらい地区か?コロナ直前ぐらい?でもあの辺で海見ても浜がないので「海きたーー!」って感じにはならんのですよねえ。うーん。船は居るんですけど。

 

 なんとなく時間もあったので隣の鎌倉高校前駅まで歩いてみることに。なんでか有名なんですよね。なんかのアニメの聖地でしたっけ?

 

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 江ノ島に日は落ちて。いい感じの夕方になってきたので帰りましょうね。

 

 ということで帰りは江ノ電で帰宅。

 ふらっと出かける、ということ自体とても久しぶりでしたが、良い1日を過ごすことができました。こうやって気楽に出かけられる期間が長く続きますように。

 お疲れ様でした。

 

やわらかな遺伝子 - 「遺伝子は経験のメカニズムなのである」

 布団を一段階冬に近づけました。

 

 

 どうも。ぐっと季節が進みましたね。

 

 さてこちらはかなり時間がかかったのですがなんとか読み通せた本。

 やわらかな遺伝子

 マット・リドレー

 ハヤカワノンフィクション文庫

 

 原題は「Nature via Nurture」で、そのまま訳せば「生まれは育ちを通して」になります。下敷きにあるのは「Nature vs. Nurture」で「生まれか育ちか」という日本語でもお馴染みのフレーズですが英語タイトルの方は韻を踏んでいて小洒落てます。
 しかしそのまま訳してもこの洒落は通じないので、日本語タイトルとしては「やわらかな遺伝子」となっています。本書内に言及はありませんが、おそらく「利己的な遺伝子」を意識したタイトルなんじゃないかなあと思います。

 

 というのはこの本、「遺伝子はさして利己的に振る舞えないよ」という主張をしている本だからです。原題の「生まれは育ちを通して」は本文中に何度も登場し、「育ちは生まれを強化する、が、全てではない」ということをさまざまな研究結果を踏まえながら丁寧に重ねていきます。
 そして「生まれも育ちも(and)」だと「まあそらそうでしょ」と言いたくなるところを一歩踏み込んで「通して(via)」であるとするところが特色です。

 

 ここで前提として、この本のいう「生まれ」は遺伝子を指していて、「育ち」はそれ以外の環境全部を指しています。
 日本語の「生まれ」はある程度文脈依存性がありますが、「生まれか育ちか」と言ったときには母体から出て乳児期ぐらいまでを指しそうな気がします。しかしこの本では遺伝子そのものなので、例えば「子宮内の環境」は「育ち」に分類されます。


 神経細胞がどちらに伸びるかを決めているのはその先端部分の周辺環境(化学物質濃度)に依存する、というスケールから、サルが蛇を怖がるのは蛇を怖がるサルが周りにいるからである、というスケールまで、また双子を使った実験などさまざまな実験や調査が紹介されていて、その一つ一つが「詳しく教えて」と言いたくなる面白い研究です。この研究を読み込んでいるだけでも楽しい。ポイントは遺伝子のスイッチをオンにするのが環境であるということ。
 その上遺伝学だけではなく心理学や社会学も持ち出し、「ヒトが文化を産んだわけ」のようななかなかにチャレンジングな(婉曲表現)論点にまで果敢に挑んでいきます。
 やりすぎじゃないのと思うところがないわけでもないですが、よくやるなあという思いの方が強いです。ともすれば還元論的な傾向の強めな著者です。サイエンスライターだしな。

 

 元々生まれか育ちか論争というのは古今東西定番の話題です。日本語でも「血は争えない」とか「三つ子の魂百まで」とか「トンビが鷹を生む」などという「生まれ」側のフレーズもあれば「氏より育ち」というまさに「育ち」側の慣用句もあります。(まあここでいう氏=家柄はちょっと違うかもしれませんが、遺伝子というものが明らかになったのはここ最近なのでピタッとくることわざはなかなか……)

 この原著が書かれた2003年というのはヒトゲノム計画が完了した直後であり、人間の設計図部分については一通り何が書いてあるかは(その意味・機能は別にして)分かったという時代です。他方「利己的な遺伝子」が1976年なのでそこからはしばらく経っていて、遺伝子と病気、遺伝子と性格傾向の関係などはそれほど簡単なものではない、というのが分かってきている時代でもあります。

 さらに逆説的ではありますが、社会の中での競争を考えた場合、「公平な社会=大体みんなおんなじ条件で育った社会では遺伝子の影響が大きくなる。他方、不公平な条件では家柄が教育などといった環境の影響が大きくなる」ということが起こります。個性を発揮するにも環境の足切りラインが存在するわけです。こうなると輪をかけて「遺伝子Aを持つ人は攻撃性が強く社会的に云々」とは言いがたくなってきます。

 それでもなお生まれか育ちかという話題は人気であり、今に至るまでなお「〇〇の遺伝子」という言い回しが絶えません。最近では「遺伝率」という言葉もだいぶ有名になってきたように見え、「生まれ」が勢力を盛り返しているところでしょうか。

 

 このような流れを見ると、著者の提唱した見方は定着しなかったというのが結論になってしまいますね。まあ仕方ないな、という感じもします。白黒ハッキリしたいのが人間の性……そういう遺伝子があったりして?

 

 などと書いていると「遺伝決定論」に対する批判が目についてしまいますが、著者は「環境決定論」の方も同じくらいの熱量で警戒しています。
 多分、時代的にも遺伝決定論者の方が多くなりがちだから分量的には合わないのですが、「環境決定論者は遺伝決定論者と同じぐらい冷酷だ」とした一節はかなり印象深かったです。
 考えてみれば環境決定論は母親の育児方法を責め、ひどい家庭環境で育った人をさらに追い込むことに繋がる信条ですからね。「虐待されて育った子は虐待する親になる」と言い放って誰が救われるのか、と。
 遺伝にせよ環境にせよ、何らかが我々を決定しているのだとしてしまうとこの手の残酷さからは逃れられなくなるわけですが、どちらの決定論を正しいとせず、あくまで確率と傾向を見ながら各論で見ていくしかないんだろうなあという気がしています。結構胆力のいることではありますので、まずは気軽に「〇〇の遺伝子」と呼ぶ風潮からは一歩距離を取りたいところです。

 

 

 20年近く前の本で、科学的に「これは古い」といった点も多いのだとは思いますが、世の中の流れが「遺伝決定論」に傾きつつある今このタイミングで読めて良かったなあと思います。

 環境支配か遺伝子支配か明らかにしていく作業って、ほんとに人のためになるんでしょうかね。この先どこへ行き着くんでしょうか。

 ぼんやりとそんなことを考えてしまう読後でした。