華氏451度 - 文芸の価値 vs. 幸せであることの価値

 なんか世の中大変なことになってますねえ。集団心理怖い怖い。

 

 

 さて今回はSFのど定番。割と薄い。

 

華氏451度〔新訳版〕

華氏451度〔新訳版〕

 

 華氏451

レイ・ブラッドベリ

早川文庫

 

 「この温度で書物の紙は引火し、そして燃える」

 

 中表紙に書かれたこの一言は結構インパクトがあり、なるほど本を燃やすことについての本なのだ、というのが何よりも先にわかるようになっています。引火とありますが、おそらく厳密な意味ではありません。だってこの本での焚書(本の中では「昇火」)される時、上からケロシンをぶっかけますからね。紙の引火点もクソもない感じです。しかし「紙の本を燃やす」という意味において象徴的な数字となっています。

 ところで。

 

 何℃やねん。

 

 見た瞬間にとりあえず換算ツールを引っ張り出したくなるこのタイトル。換算式?覚えられるかあんなもん*1。えー、大体233℃らしいです。とりあえずここははっきりさせておきたかった。紙って200℃ちょいで引火するんですか?何のガスが出るんでしょう。水素かな。これはまた別途調べることとしましょう。

 それにしてもファーレンハイトってヤードポンドより使われてる範囲狭いんですけどねえ。アメリカさんはいい加減にして、と思うのですが、日本人には馴染みのないこの単位だからこそ何やら不思議で魅力的なタイトルになっている気がしなくもないです。著者はアメリカ人なので、そのような効果を狙ったわけではないのですが。

 

 のっけから脱線しましたので本題。

 

 この手の近未来SFのご多分に漏れず戦争の足音が聞こえる不安定な世の中を背景に、本の所持が禁止された国のお話。違法所持の通報を受けて出動し、本を家ごと燃やすのが仕事の「昇火士(ファイアマン)」である主人公が、自らの仕事に疑問を持つところから始まり、物語が進行するうちにそれが徐々に膨らんで行きます。きっかけは目の前のものに興味津々な17歳の少女との会話であったり、本と共に死ぬことを選ぶ老女の姿であったり、話の通じぬ妻であったり、日がな一日喚きっぱなしの「ラウンジ」であったり、老いた英文学の元教授であったりと何段階かあります。

 そんないくつかの出来事を通じて主人公は自分の仕事と世間の思想から決別し、逃走を経て同志たちと再出発する……ようなお話。まあおそらくこの本を読む人で焚書に賛成する人ってあんまりいないんじゃないかと思うんですよ。だから最初は主人公側の視点で読むんじゃないかなと。

 

 でも読んでくとこの本、一番魅力的なのって敵として出てくる主人公の上司じゃないです?

 

 いやあ私好きなんですよこの手の悪役。要は「体制派」なのですが、本人自身は少なくともよく本を読んでおり(立場上逆に許されるのか、禁止になる前に読んだのかは不明)、主人公を「半可通」と一喝します。結構どきっとするんですよ。

 この世界において焚書が正当化されている理由が、「本は人を傷つけるから」です。特に少数派の人々の不安を掻き立て、戸惑わせる。そんなものは燃やしてしまえ、火は明るくて清潔だ。そして人々にはデータの山でも与えておけ。脈絡のないクイズとその答えで埋めてしまえ。みんな平等で、しあわせな世の中を。ファイアマンは心の安寧の保証人。

 

 あっれーどっかで聞いたことのあるロジックだぞーってなってくるんです。

 

 現代の我々にもこういうとこ間違いなくありますよねえ。SNS全盛・動画配信サービス全盛でまさに情報の濁流に晒されている現実の世の中と表現の自由をめぐるあれこれを見ているとなかなかに類似部分が見えてきて面白いです。本を捨て始めたのは、国家様じゃあないんですねえ。

 

 中盤に演説シーンがあり、残念ながら私には教養がなくこの上司の引用が引用として正しいのかどうか判別つかないのですが、自分たちの敵、本好きになる人たちのことをよく分かってる感じがあるのです。時代が違えば主人公とも良い本読み仲間になれたんじゃないかとすら思います。自分の言葉によって逆に焼かれてしまうあたりも完璧じゃないですか。言葉を投げた相手が悪かった。獲物は追い込みすぎてはいけないこれ教訓。

 

 逆に主人公のなにがきついって完全に「目覚めちゃった人」なところです。ラウンジから流れる情報の濁流から身を置き、自分の頭で考える時間を欲し、画面ではなく現実を見ることを重んじようとした人間が、よりにもよってやることそれかい!みたいな。

 なんていいますか、そのうちまた人を焼く気がするこの主人公。同志たちに「私たち自身は何者でもないと言うことを忘れるな」という旨のことを言われるのですが、響いてますか!?って確認したくなります。いやもう同志たちに出会うまでの主人公くんが不安定すぎて今後が心配です。

 

 最後にラストパート。

 書物というのは記録であって放っておいたら自然と失われるものなので、先人の営みを記録し保管する努力は大切なのだ、という点には納得しますが、しかし一方その積み重ねがこの本の中で批判的な扱いを受けるテクノロジーを生み出していることも確かです。

 よって「まあそんな都合よく欲しいとこだけかいつまむようには行きませんよね」との思いと、「特に焼かれていなくても歴史って割と繰り返してますね」という思いに囚われてしまいます。後者に対しては「それでも我々は記憶するのだ」といつの日かに希望を持たせる明るめなエンディング風景が描かれていますが、本当に「勝利」などというものが来るのか、遠い目になってしまう。この辺かなりキリスト教的なのかもしれません。最後の日には神は勝利するのだ、みたいな。

 共感は致しかねますが理解はできんこともありませんので、主人公には「おう、まあ、がんばれよ」と一言声をかけておしまいにしたいと思います。

 

 

*1:一応調べました。℃ = (°F-32)/1.8 だそうです