時計じかけのオレンジ - 選択の自由意志か、それとも社会の安寧か?

 来週からGWという状況において東京大阪京都兵庫に緊急事態宣言という展開となって参りましたがいかがお過ごしでしょうか?

 「人と会って話がしたい」という欲求とバチバチに相性が良い新コロウイルスですので連休狙い撃ち宣言発出も致し方ないですね、などと私は思うわけですが意外と賛否があるようです。「しゃべりたい」「飲みたい」という衝動とはこれほど強い物なのですねぇ。

 

 生活習慣病に対して「結果自分が病気になってもいいから不摂生させろ」という主張は前々からあり、こちらは増える一方の医療費問題との兼ね合いが常に議論になるわけですが、こと感染症については不特定多数の人を巻き込むため事態はより深刻です。
 それでも「知ったことか」「大丈夫でしょ」という人は一定数いて、宣言出したって友達と集まって宅飲みはできてしまう。こんな状況でも自制できない人というのは何かと理由をつけて自制しないものです。

 

 

 今回読んだ本は、社会全体から見た時に「より良いこと」を選択できない人、もっと言えば積極的に「悪いこと」を「悪いこととして」積極的に選択する人を強制的に選択できなくしてしまうことは許されるのか、という古今東西普遍的な議題を取り扱った本のうちの一冊でした。

 ここまで前置き、なっがいな!!

時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1)
 

 時計じかけのオレンジ
 アントニイ・バージェス
 乾慎一郎訳
 ハヤカワepi文庫

 

 小説はお久しぶりですねー。ディストピア物だってことだけ聞いて買った本なので細かい内容はまるで知らなかったのですが、なかなかどうして世情にあった本でした。非常時ってのはどうしてもディストピアに寄りやすいってことですかね。多くのディストピア物、戦争中だったりするので。

 ……と書いておいてなんなのですが、この手の「個人の選択の自由」が問題となる本にしては珍しく本書の世界では戦争の気配がしません。ただ(もちろん)全体主義的社会ではある様子が集合住宅にかけられた労働賛美の絵画や「教化」という言葉などに見え隠れします。

 

 本書の主人公は15歳の少年アレックスですが、これがまあどこをどうしても擁護しようのない非行少年です。
 4人でグループを作り夜ごと薬をキメつつ破壊、強盗、傷害、強姦、喧嘩などなどを実に楽しそうに行います。愛用武器はカミソリ。しかもそれなりに頭が良く、きちっと買収によりアリバイを作るのでもう目も当てられない。
 「貧乏のせいだ!」というような話でもなく、両親は仕事してるし着るものも食べるものも家も自分の部屋もあります。音楽が大好きで部屋にはステレオセットがあり、クラッシックレコードがお気に入り。親受けする言葉、カウンセラー受けする言葉などをよく分かっていて、適当に取り繕うこともできます。タチ悪いぞ!!
 悪事に対して「これの何が悪いんだ?」と思っているわけではなくもう一段上(上?)で「悪いことが好きだから悪事を働く」タイプであり、自分のしていることが悪だと認識しながらそちらを選びます。曰く、

"善良"の原因さえよくわかっていないくせに、その反対のことがわかるわけがなだろう? 人々が善良だということが、その人々が善良を好むということだとすると、俺は絶対その楽しみを妨害しようなどとは思わないし、また同じことが反対側の場合にもいえる。そして、おれはその反対側を支持しているのだ。(p62)

 

 ……どうするよ。どうするよ、これ。
 本当に最初から最後まで救いようがない、を絵に描いたような人物です。

 

 でまあ、ついには強盗に入った先で捕まるのですが、その時に痛めつけた老女が亡くなってしまい、めでたく殺人犯と相成りました−というところで第二章へと突入します。

 

 この本は全三章で、主人公の日常と捕まるまでの第一章、刑務所での生活と「矯正」の第二章、出所してからの第三章という構成です。第二章の矯正パートでこれまたろくでもない矯正を受けるのはディストピアファンの皆様なら想像つくかと思います。ロボトミー的なあれです。
 作中ではルドビコ法と呼ばれている矯正方法で、気分の悪くなる薬と暴力映像を同時に摂取することで暴力=気分が悪いを擦り込みます。これにより血や暴行を見たり想像したりすると吐き気を催すようになり、その吐き気から逃れるために必死になって善行を想像するようになるという仕組み。脳みそをいじって善人にする仕組みでないことがポイントです。
 アレックスの性根は全く変わっていません。しかし「選べなくなる」。
 徹底して犯罪数の抑制と刑務所のゆとり確保のために作られたシステムです。

 

 さて……このような方法による意志の剥奪はどのように評価されるべきでしょうか。

 

 いやねー!この「矯正」方法、なるほどって思いましたよねー。「矯正法」という法律が施行されてるようですけどその実当人は全然矯正されてないもんねえ。でも行動だけは確実に変わるんですよねえ。この「気をつける」みたいな意識に頼らない解決方法、素晴らしいですね(現場並感)。

 現代社会でも意志、というより選択の剥奪はたとえば「収監」などで行われています。選択が物理的に取れる選択肢の形式ですね。
 この小説の中ではその選択が生理的な反応により制約される形式です。基本的には一生ものなので終身刑に近いですが、「善良であるなら」解放後の行動は自由であり、その意味では、あれっ人道的では……?という気にすらなります。でもやっぱり肉体に直接介入するのはちょっと……ううーん、と。この調整具合、上手いですよね。

 

 主人公の一人称語り形式で書かれているため保身っぷりも筒抜けとなっており、読者は全編通してクズエピソードや武勇伝()を聞かされ続ける立場になります。つらい。オリジナルスラングたっぷりなのもあって胸焼けしてくるレベル。
 しかし話が進み登場人物が増えるにつけ「いっそ清々しいな」という気持ちに段々となってきました。
 というのも、物語全体を通じて上から下まで右も左も全員がろくでもなく、善人が不在というかみんな身勝手です。主人公だけでなく警察から一般市民から研究者から政府から反政府団体からどこを見てもこの社会ダメだと思う程度には各々勝手に各人の主義主張に忠実です。
 でも現実の世界だって世の中そんなもんだよねー!!という感覚が常日頃からないわけでもなく、またこれが主人公自身の主義主張に対するカウンターにもなっています。

 

 ウルトラ身勝手な主人公が周りから好き勝手される様を見て、正直ちょっと胸がすく、のと同時に諦めのような感覚も伴って「これだから世の中ってのはよぉ……」と雑に感想を投げたくなる、そんな読後感でした。
 

 タイトルの「時計じかけのオレンジ」がなんたるかも作中でスパッと説明されているので謎は残らずその意味ではスッキリした本です。映画化もされてるらしいです。そんなに厚くないのでGWのお供にぜひ。