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台風18号のせいで自宅待機なう。
この調子だと多分午後から出勤。
住んでる町に避難勧告でましたが
あれって市内でも細かく地域ごとにでるんですね。
知らなかった。
ということ私の住む地域はでぎりぎり勧告出ていません。
まあ今逃げろって言われても
家の中に居た方が良いレベルには外荒れてます。
川もちょっと離れてるしここ3階だし浸水は無い。
やること無いので本読んだ。
オーストリア皇太子の日本日記
フランツ・フェルディナント 著
安藤勉 訳
時は明治維新。
1853年ペリー来航ののちに鎖国を解き、
港が開かれ大使館領事館が置かれ、
更に各国使節が続々と日本へやってきていた、そんな流れの中で
他国より少し遅れて1893年(明治26年)に日本にやってきた
オーストリアのフランツ・フェルディナント。
長崎に来たのが8月2日、横浜から出航したのが24日なので20日ちょいの旅です。
ルートは
長崎→熊本→下関→宮島→京都→大阪→奈良→大津→
岐阜→名古屋→宮ノ下→東京→日光→横浜。
京都までは船旅主体、そこから先は鉄道。
この人、お忍びで旅行したかったらしい。
日本サイドにもそう打診したみたいですが、
この2年前にロシア皇太子暗殺未遂事件(大津事件)が起こっているので
日本としては無理な相談です。
その事情は分かっていつつ、
ぐるりと警備され各地でもてなされ歓迎されというのが相当ご不満だった模様。
何度も何度も警官を外せと訴え
警備を巻こうと奮闘し
最終的には成功します。
なにしてくれてんですか皇太子。
皇太子だけあって、観察眼がすごいし
下手な日本人より日本史に詳しい。
美術芸術、特に日本の建築を気に入っている。
庭も気に入ったようだが、
「自由にのびのびじゃなくてどっちかというと自然を小さく押し込めてる感じ」
と書いているので好きいうよりは物珍しさか。
軍に対する関心も高い。
特に騎兵団の描写が詳しい。
馬に対するコメントまである。
軍服にも興味があるようで襟の色なんかの描写が多い。
派手な色合いは嫌いみたいです。
民衆の風習/風俗/宗教についてもあれこれ書いてある。
キリスト教弾圧については厳しいコメント。
日曜のミサは旅の途中でも欠かしません。
・とりあえず、日本料理は嫌いではない。
料理の飾り付けに感動していた。
・抹茶は口にまったく合わない。
・奈良公園で60頭の鹿にたかられ煎餅をねだられる。
・桂川の急流下りで危機一髪。
・日本の音楽って……単調でちょっと飽きる……
・鵜飼ひゃっほうううううう!!!
・日光すごい。雨だけど綺麗。雨だけど。
・狩りしたかったなあ……
・土産物屋って普通の3倍の値段ついてるから嫌い。
・日本の建物とても良いのに、
ヨーロッパ近代的なものが混ざると台無し。
伝統主義で保守的、
好奇心あふれる性格で収集癖あり。
かなり日本を好意的に書いてくれています。
これだけだとただ観光に来ただけみたいですが、
東京横浜は公務が多かったみたいです。
東京の町並みに対してのコメントがキツい……
彼はこの後アメリカへ渡り、
ウイーンへと帰っていきますが、
この世界旅行の21年後に悲劇が起こることになります。
世界を見て回った彼が、
帝国の隣人であるセルビア人に殺されなければならなかったのは、
なんとも皮肉なものだなとおもいます。
べ、べつにうちゅうろんあきらめたわけじゃないし……