設計された未来を歩く
春。
桜の季節。
新しい一年が始まりました。
私自身は変わりませんが、
私の周りは結構な速度で流れております。
忙しいのは、きらいだなあ。
さて。
最近はこんな古典SFを読んでおりました。
岡部宏之訳
ハヤカワ文庫
言わずと知れたアシモフのSF。
アシモフは多分読むの2作目。
長いシリーズ物なのですが、
取りあえず3部作であるらしい。
その1巻です。
人類は銀河という銀河、
星々の間を自由に移動出来るだけの技術レベルを持ち、
広大な宇宙のあちらこちらに入植し暮らしています。
そしてその広い広い宇宙に散らばる人類を束ねているのが「帝国」です。
「帝国」の中心は地球にはありません。地球はとっくに過去の遺跡。
帝国中心部「トランター」は鋼鉄に覆われ、
地面も太陽も見えないような都市です。
これなんて「鋼鉄都市」。
一方であらゆる技術は、
原子力によって支えられております。
何から何まで原子力。
ちょいと万能扱いし過ぎじゃないですかって感じですが、
なにせこの本、アメリカで最初に出たのが1951年。
書かれ始めたのがWW2前ってことなので
むしろ現実世界でよく原子力がここまで物になるって予測して書けたなあと
かえって感心するところ。
原爆おちるより前じゃん……
原発って1951年に実験炉が出来たはず……
アシモフすごいですわ。
しかし一見隆盛を誇っている帝国も、
外縁部の星区で反乱が有ったり
国内でも技術が肥大化しすぎて
技術者すら原子力技術について良く分からなくなっております。
ひとたび事故が起これば「危険だから取り壊そう」という方向に動き、
それを正しく理解しようとかきちんと技術者を育てようとかにはならないため、
ますますブラックボックス度が加速しています。
そうやって時間をかけて、
確実に崩壊していく帝国に気づいたのがハリ・セルダン。
この物語の全ての元凶。
彼は「歴史心理学」の手法を元に、未来を計算し、予測し、
もはや止められない帝国の崩壊後にやってくる
混沌の期間を少しでも短くすべく動きます。
その目的のために作られたのが、「ファウンデーション」。
帝国で失われてしまった原子力の知識を保持し、
帝国亡き後に再び宇宙に秩序をもたらすべき存在である、
物語群の中心です。
当初は帝国中心部からはほど遠い星「ターミナス」上に設立された
科学者たちの小さな「財団(ファウンデーション)」なのですが、
このファウンデーションの権力中枢が科学者たちから市長へ移り、
その技術力を売りにしつつ周囲の星々(国々)をうまいこと争わせながら
次第に力を付け、覇権を握り、さらに遠くの星に触手を伸ばし、
帝国に対抗しうるだけの力を付けていく様は
はっきり言ってえげつない(苦笑
時間的にはこの本の中だけで100年程度が流れます。
その節々でファウンデーション滅亡の「危機」が訪れる訳ですが、
危機においては当時の人間に選択肢が無く、
しかし最終的にはファウンデーションが勝つ。
全てはセルダンの計算通り、というわけです。
選択肢の多さは予測を不安定にしますからね。
危機が訪れる時には選択肢は取り上げられ
セルダンが描いた通りの道を人類は歩む事になります。
仕方ないね。
それが混沌の期間を短くするための、最適解だからね。
なーんかこれ、胡散臭い匂いがするんだよなあ。
何だろうこの感じ。
どこかで覚えがあるんですけどねえこの感覚……
不愉快とは違うなあ……でも心地よくはない……
胡散臭いとしか言い様が無い。
折角なのでファウンデーションのえげつなさについて。
1.神聖なるこの力をあなた方にも授けましょう
原子力技術をね、宗教の向こう側に隠すんですよ。
で、「司祭」たちはファウンデーションで教育を受けるんですね。
原子力は神秘的な何かで、その宗教の頂点がファウンデーション。
そして徹底した宗教教育。
ファウンデーションに逆らおうものなら
「神への反逆者のレッテルを貼られる」かつ
「社会インフラ止められる」という状況になる訳です。
特に民衆相手には前者が効くんですねー。
おまえいつの時代の白人国kk
2.便利で快適な生活を、ハイクラスな生活を貴方に
しかし宗教的な支配が届く距離には限度が有ります。
そこで出てくるのが商人たちです。
宗教的なあれこれは除いて、あくまでも物質的な豊かさを売る人々。
商人自身が宗教を信じているかどうかはどうでも良く、
むしろ信じていない方が商売には都合がよく、
このことはファウンデーション中枢との軋轢を生む訳ですが、
宗教を排した技術の売り込みはかなり強力で、
商人は遠くの星もお茶の間から発電所まで
「ファウンデーション産の技術漬け」にしてしまいます。
経済支配怖い。
まじ怖い。
未知の物に頼った生活の怖さ……
しかもそれが外国産とあっては……
現代日本でも常日頃技術を維持管理している人々の有り難さが分かります。
第1巻の最後には当のファウンデーションの権力中枢も商人にもっていかれる訳で、
セルダンのいう「ファウンデーション」の中身は
かなり流動的であることが分かります。
別に特定の政権の流れとか汲んでなくても全然いいっていう。
これは「歴史心理学」の特徴かもしれませんねえ。
個別の人間については予測が立てられない。
人間の数が多ければ多いほどかえって「群衆」として扱える分計算しやすい。
「ファウンデーション」が残っていけばそれでいい。
何なのでしょうね?ファウンデーションって。
漠然とした枠は見えるのですが。
何を含んでいるものをファウンデーションと呼ぶのでしょうか。
ターミナス上の国を漠然と指す、訳ではないと思うのですが。
第2巻はサブタイトルからして旧「帝国」との対決の様です。
はてさてどう続いていくか。
楽しみです。