数学にとって証明とはなにか - 懐かしの定理の証明鑑賞会

 お天気荒れ気味の週末ですがいかがお過ごしでしょうか。

 わたしはまだGWの旅行立てておりません。どーしよ。

 

 

 さて読書感想文()も久しぶりですねー3月に読んでいた本が上下もので、まだ上巻しか読んでいなくて感想書けないのです。ということで一旦その上下本をお休みして読み始めた本がこちら↓

 数学にとって証明とはなにか ピタゴラスの定理からイプシロン・デルタ論法まで
 瀬山士郎
 講談社ブルーバックス

 

 本の前半は証明の定義と論理展開パターンの提示、記号論理学の紹介と算数の振り返りが展開され、後半で幾何学解析学代数学の基本的な証明を鑑賞する、といった構成になっております。論理展開の部分は演繹・帰納・仮説論理と背理法の説明です。背理法を引っ張ってくるためのパートですね。でも本全体からし記号論理学パートは必要でしたか……?ここ後半との繋がりが無くないですか……?(ボソッ

 

 数学にとって証明とは何か、というタイトルテーマへの答えは第1章で辞書からの引用によって示されます。曰く、

 「いくつかの事実を前提にして、論理的に結論を導くこと。見出されたあるいは予想された数学的事実を、間違いなく確立するための手続きであると同時に、数学的事実の意味、内容、意義、他の事実との関係などを明らかにする手段でもある」
(岩波数学入門辞典 これ↑は孫引き)

だそうです。前半は一般に証明と聞いてイメージすることでしょう。後半の「数学的事実の〜」から先が重みのある部分ですね。ただ手続きであるだけでなく、その意味やら他の事実との関係を読み解く手段でもあると。
 著者も強調するのはここで、形式的な記号捜査はもちろん大事だけど、その計算が意味するところを理解する=何をしているのか説明できることも同じだけ大事、と強めに訴えています。特に初等教育に対するこだわりが見てとれます。

 

 

 普通の辞書でもそうですが、当たり前であるようなことの説明は意外なほど難しかったり、或いは回りくどかったりします。
 中学に入って最初に出てくる証明は簡単な幾何学でしょう。三角形の合同・相似・二等辺三角形の底角定理、平行線の性質。天下り的に出てくるこれらの定理を「では証明してみましょう」というと、どうしても中学数学の範囲を飛び越してしまうところがでてきます。この本によれば、ややもすれば循環論法に陥っている部分もあるようです。
 この辺りをどう回避するか、というところのアイデアでパッポスの裏返し法やユークリッドの「原論」を参照する辺りは面白く、これそのまま中学の教科書に載せてもよくないか?と思ってしまいます。
 教科書には教科書の都合もあるでしょうけど、中学生でもまあ思いつけってのは酷かもしれませんが読めばわかりますよね?コラムにでもあれば良いのになぁ。面白いじゃないですかひっくり返すなんて。見せて欲しいですけどねぇ。

 

 この本の特徴として、全体を通じて「教育の中でどのように証明を扱うか」という視点の話がよく出てきます。「数学にとって証明とはなにか」というより「数学教育にとって証明とはどのようなものか」という本なのではと途中で疑ったほどです。
 どうやらこの著者は教育大学を出ている方のようですが、そのせいなのかどうかはよくわかりません。教育大学の理学研究科って何するの。教育学なの数学なの。
 独特な視線、と言えばそうですし、今何の話だったかわからなくなりがちとも言えてここは一長一短ですね。

 

 代数学の最後の方は「円板」なる考え方が現れてもう全くついていけなくなったのですが(本の中でもあまり説明がなくて紹介だけ)、鑑賞パートは中高でみた定理が沢山出てきて懐かしい気持ちになる本でした。