詭弁論理学 - なんだか会話がズレてるな、と感じた時に

 緊急事態宣言解除、一旦はめでたいことですがもう2週間は籠ってた方が良いかと思います。既に感染者数再上昇の兆しが見えているので。

 

 

 今回のご本はこちら。

詭弁論理学 改版 (中公新書)

詭弁論理学 改版 (中公新書)

 

  詭弁論理学 改版

 野崎昭弘

 中公新書

 

 著者は数学の先生。巻末によると1976年初版とあるので、40年以上前から読まれている本らしい。帯に「名著、刷新!」とあるけれど、それだけいい本ってことなんだろうなーってことで今回手に取ってみました。帯買い。何が変わったのかは知りません。

 詭弁というとあまりいいイメージはないですが、実社会においては「なんとなく丸め込んで場を収める」ことも必要であったりして、使えるもんなら使えるようになりたいという気持ちもありつつ。

 

 まず前書きで「本書の目的は議論上手になることで、議論のゆとりを楽しむことが出来るようになること」「知的・論理的観察が主体」と釘を刺されます。書名に「学」と入れたのも「ハウツー本じゃないよ」というアピールだそう。

 

 ………いやその、ちょっと期待した気持ちもあったのですが、違うんですね、はい。

 

 本の内容としては、前の方2/3で強弁・詭弁のパターンを例示して、最後の1/3は有名どころの論理パズルやパラドックスの検討に取り掛かっています。

 

 全体を通しての感想なんですが。

 

 だったらいっそもうちょっと「学」してくれてもいいのになあ!!!!

 

 論理パズルパートは面白かったし、詭弁術のパターンの後半も改めて「なるほどそうだよなあ」と思うことは多かったです。よく言われることではあるのですが、二分法の隙間に気を付けろとか、消去法で導いた答えは再検証しないと危険とか、どっちもどっちはバランスが取れているのかとか、単語の意味はズレるとか。意図的であれなんであれ、そういうところは確かにハマりやすいですね。

 人と話している時に、「あれーなんかうまく噛み合わないなあ」と思ったことがある方は多いと思いますが、そう感じた時に交通整理をするのに本書であげられる検証点を使うのは良い方法だと思います。

 

 ただなあ……なんとなく全体的に愚痴っぽくてなあ………

 

 正直に言って後ろほど楽しい。問題は前ですよ。なんで個人の体験談と愚痴が多めなんだ!話のとっかかりをそこに作ってもいいけれどもうちょっと膨らませて欲しい。

 ロジックを論理学的に詰めるわけでも無く、かといってただ楽しんでいる雰囲気もなく、「けしからん」と言い続けている感じです。個々の節の主題には納得できるのに、話が途中で脇道に逸れちゃうの、どうして……(現場猫

 これ強弁術のところざっくり落として論理学側に振った方が面白かったんじゃないのかなあ……と。そりゃバリバリの論理学の本にしたら想定読者層とはずれるのかもしれませんが、だからって脇に逸れるのはいまいちです。あとたまに「その例示であってます?」ってところがあります。確かめる術はないのですが。

 

 

 前述しましたが論理パズルの章は面白かったです。論理を楽しむ、という意味では格好の題材ですね。

 有名なパラドックスに「死刑囚のジレンマ」「抜き打ちテストは可能か」などと呼ばれている型がありますが、この本でもページを割いて取り上げられています。大体以下のような内容です。

 

 ・明日土曜日から次の金曜までのどこかで処刑が実行される

 ・ただし、当日朝までに「今日処刑されるのだ」と分かる日には処刑されない

 →金曜日の処刑はあり得ない、なぜなら木曜に処刑されなかった時点で処刑日が分かるからだ。よって金曜は処刑日から除外。とすると木曜処刑はあり得ない。以下同。処刑できる日は存在しない。

 しかし一方、常識的に考えて、例えば金曜を除いてくじで処刑日を決めた場合、処刑日が分かることなどあり得ない。

 

 さてどこがおかしいのでしょう、というやつですね。これ結構難しい部類のパラドックスであるようで、著者の見解として「分かる」とはどういうことなのか、というのが議論されます。自己言及のパラドックス「この括弧内に書いてあることは全て嘘です」と通じるものがあることがよくわかりました。記号化されると分かりやすいです。

 しっかし「分かる」という単語ひとつとって、一般に単語が持つ多彩な意味どころか普段は意識しないような、「それって違うの?」と思うレベルの違いに踏み込んでいくの、まさに詭弁というか言葉遊びのようです。それがパラドックスを生むのだから論理学っていうのは面白いですねぇ。