アンドロイドの見る夢は

そっか世間はバレンタインか。

会社でそういうイベントあるんだろうか……

聞いてみた方が良いのかな……

さてこちらは一気読みした本。

私の本棚のハヤカワ率は異常。

SF読んでるからね。仕方ないね。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか

フィリップ・K・ディック 著/浅倉久志 訳

ハヤカワ文庫

SF古典。

多分タイトルだけは図抜けて有名なのでは。

原題はそのまま

「Do Androids Dream of Electric Sheep?」

で、1968年に書かれた本。50年近く前。

テーマはあとがきにある通り、「人間とはなにか」。

舞台は「最終世界大戦」以後、

放射性物質で覆われて毎日死の灰が降り注ぐ、

生きた動物が珍しいものになった地球、アメリカのサンフランシスコ。

人々は地球から外へと移住していき、

仕事の都合などで残ったものも都市部へ集中していて

死の灰の恐怖におびえながら暮らす。

一方で地球外への移住のためのアイテムとして

高性能のアンドロイドが開発され売られている時代だ。

まるで人の様な。

しかし道具。

そんなアンドロイドと人を分けるものが、

人の持つ「共感力」だとされている。

人は他人に共感し、感情を分かち合うことができる。

更には人以外の、動物などにも感情を寄せる。

アンドロイドにはそれが出来ない。

そして全世界の人々と共感するための装置として、

「マーサー教」と「共感ボックス」が登場する。

しかしその一方で、「ムードオルガン」という

感情操作装置が一般に浸透しており、

人々はそれを使って自らの感情を日常的に操作している。

主人公のリックは

サンフランシスコの警察に勤める「バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)」で、

火星からそこにいる人間を殺して地球へ逃げ出してきたアンドロイドたちを

見つけ出して処分するべく飛び回る。

アンドロイドを見分ける手だては感情の揺れを計る装置。

始めこそアンドロイドはモノだとして

容赦なく処分するリックだが

自分をアンドロイドとも思っていなかったアンドロイドや

ムンクの絵を眺めるアンドロイド、

そのアンドロイドをより冷たい目で見る同業者を見ているうちに……というお話。

このリックが飼っているのが電気羊。

世間では生きた生物を飼うことがステイタスであり、

同時に「市民の義務」のような雰囲気になっている。

しかし元々飼っていた羊が事故で死んでしまって以来、

その羊の複製の様な電気動物を飼って暮らしている。

別にその羊に強い思い入れがあって次が飼えないというよりは、

生きた動物が高すぎて買うことができないといった感じ。

さて、アンドロイドは電気羊の夢を見るのだろうか?

夢を見るとして、その夢に出るのはやはり「電気羊」なのか?

それとも「羊」の夢を見ることもあるのだろうか。

このタイトルの「アンドロイド」が作中に出てくる彼らの様な存在を指すなら、

むしろ羊を夢見るのではないだろうか。

少なくともレイチェルは羊を、生身のものを、夢見たのではないだろうか。

また、ルーバは変わりつつあった。

この本の、一番始めは、詩の一節だ。

 そしてわたしはいまも夢見るのだ、

 牧羊神のおぼろ影が、

 わたしの歓びの歌につらぬかれ、

 露に濡れた草の上を歩んでゆくのを。

……ただ歓びの歌を歌いたかったのかな、と。

いや羊って動物に対する印象が

西洋人と日本人で違いすぎると思うので

いまいち雲をつかむ様なところはあるんだけども。

この本にはもう1人主人公と呼ぶべき人物が居て、

彼、イジドアは放射能の影響で生殖の認められない体になった「スペシャル(特別)」。

さらには精神の方もやられていて、

ピンぼけ呼ばわりされる爪弾き者だ。

住居も郊外の、今にも倒壊してキップルへと還りそうなビル。

それでも他の人々同様、マーサー教を信じている。

彼のマーサー教への入れ込みは主人公のそれより強い。

マーサー教を信じていることが、他人と共鳴できることが

自らが人間であることを保証する最後の手段になっているように。

彼はそれとは知らず(リックが追っている)アンドロイドと交流を持ち、

彼女と暮らそうとし、

アンドロイドであること知った後も一時は彼女を守ろうとする。

ただし何をして追われる身になったのかは知らぬまま。

そんな時にアンドロイドたちが叫ぶ。

マーサー教はインチキだ!!

それでも、何も変わらないのだ。

マーサーはあり続ける。

この話は最終的に、ハッピーエンドである。

人はモノにも感情移入する。

しかしそれは賞金稼ぎとしては致命的である。

賞金稼ぎは違法な行為をしたアンドロイドを処理せねばならない。

そこに人間の「アンドロイド性」が入り込んでくる。

アンドロイドを無感動に処理できる者はアンドロイドなのではないか?

いや違法アンドロイドに感情移入してしまう者こそアンドロイドなのか?

人間とは、アンドロイドとは、その境界線は。

リックは多くの葛藤を経て、

電気動物を電気動物をした上でその中の生命を認める。

マーサーは、あり続けるのだ。


設定はSFの王道ながら

とても楽しめたと思います。

映画「ブレードランナー」の原作らしいので、

そっちも見てみるかー。