このわたし、

最近の日差しの強さに驚いている。

風はまだ冷たいけれど、季節はすっかり春です。

そんな日に本を読むというのも不健全極まりない気がしますが

しかもこんな鬱々とした本。

屍者の帝国

伊藤計劃×円城塔

河出文庫

伊藤亡き後、

The Indifference Engineに書かれていた導入部分をプロローグとして、

円城が書き上げた歴史改変ものSF。

今思ったのですがこれ何でかハヤカワじゃないんですね。

時代は19世紀の終わり。

世界の覇権が決定的にアメリカに移る前、

まだ大英帝国が牛耳ってたころ。

屍体に動作プログラムを書き込んで「屍者」として動かす技術が発達し、

屍者が労働力として日常にとけ込んでいる、そんな世界。

まあ設定からして陰鬱。

そこかしこにフランケンシュタインの居る世界など

個人的にはごめん被りたい。

しかし技術というものは人間より先を行くものであるのもまた事実。

……いややっぱり屍体はまずいだろいうよ…

そんな疑問というか不快感は置いておく。

とにかくそういうお話だ。

主人公は英国のスパイ。

医学部生で屍者技術にも詳しいところを買われてスカウトされた。

秘匿された屍者技術を求めて戦争中のアフガニスタンの山奥へ行き、

そこで「屍者の王国」を築いた人物と出会う。

彼と夜を徹して話をし、まどろっこしく入り組んだ、

秘匿事項として伝えることすら出来ないクラスの秘匿事項を告げられ、

どこかへ消えてしまった技術と情報を追い求めることになる。

なんだかんだ生真面目な主人公、

対称的に破天荒なパートナーのバーナビー、

謎に満ちたハダリーとバトラー、

全ての元凶のザ・ワン

その横ですべてを記録し続ける屍者のフライデー。

クライマックス、彼らの旅の行き着くところは、

悪ふざけとも言える言葉遊びの先の、

かつて存在していた、存在していたかもしれない、存在しなかった者が存在する世界だ。

全ての屍者の復活、ただし全てには存在しなかった者も含む。

全てには物語に書かれた者も含む。

結局その世界の実現はくい止められて

世の中は平和になるけれど

結局主人公はデッド・エンドなんだよなあ。

ハーモニーの再現にはならなかったけど下手したら同じとこ落ちてたぞ。

最後にフライデーが前をむくから救いが有るな。

この2人の合作らしく、

主テーマは「わたし」の在処。

キーになるのは「言葉」。

なんだけどさあ……正直ちょっと書き過ぎじゃねーのとも思う訳ですよ……

面白かったけど盛り込み過ぎかなーという印象。

伊藤っぽい舞台設定で、

円城っぽい書き方。

読んでる感覚は虐殺器官に近い、重さと密度なんだけど

所々の言い回しに「円城だ」ってはっとするんだよなあ。

「語ること」へのこだわりは伊藤も持ってたけど

分かりやすく「言葉」が出てくるのは円城だな。

あとやたら数学っぽいところ。

この小説、フライデーの書くお話、物語の中で語られる者としてのフライデー。

本人も書いてるけど、やっぱりこれは円城の書く物語だ。

アニメ表紙は何とかならんのかと思ったらカバー2枚ついていました。

というかアニメ化するのかこの内容を……

しかも映画で……

大丈夫かよ………