例えば無人島に取り残されたとき

 

リオ五輪も終わりましたが

インターネットの世界では相も変わらず爆発炎上事件が続発しております。

こうして見るとやはりテレビニュースとの乖離を強く感じます。

どちらがどうという事ではなく、ただ種類の問題です。

 

さて色々と読んでたのですがもう思い出せないので

一番最近のものだけ。

 

ゼロからトースターを作ってみた結果

トーマス・トウェイツ著 村井理子訳

新潮社

 

何のスレだどこのまとめサイトだ最後に草でも生やそうかというタイトルをしておりますが、

まあ、なんだ、タイトル通りの本、ですね。

英国の一流美大の大学生が、

卒業制作としてトースターを、

産業革命前の技術を使って原料から作ろうとする、

その珍道中過程を書いた本。

当人が書いているので一人称視点の語り口調で進行します。

この本の帯には2016年8月現在

「汗と笑いの9ヶ月!(と15万円くらい)」

という煽り文がつけられていますが、

この煽りに釣られて、買いました。

 

「え、それだけで出来るの?」と。

 

どうやってやったんだろう、と不思議に思いました。

原料というからには、原料からなんだろう。

素人がたった9ヶ月15万ぽっちで原料からトースターを作る。

面白そうじゃないか。

表紙の写真が完成したトースターなのだろう。

ちょっとパンを入れたくはないけれど、

二つ口があって、なんとか、見た目は、それっぽい。

 

ということで読み始めたのですが、

この作者、なかなかのやり手でした。

頭のいいバカという言葉がこれほど嵌る人がいるのか。

何も知らず、しかし調査能力は高く、

無鉄砲で、しかし根性があり、

楽天的で、しかし肝も据わっていて、頭がやわらかい。

手先が器用で、恐らくプレゼンも上手い。

 

ある程度は演出かもしれませんが、

普通石油最大手スーパーメジャーに

「トースターの筐体をプラスチックで作りたいからバケツ一杯の原油をわけてくれ」

なんて電話はかけませんって。

そら無理やろ。

と、突っ込みながらも、突撃した事自体に感心してしまいます。

その後に自分の手で木製鋳型を削り出し、

あの手この手で「プラスチックの筐体」を作ろうとする様子もまた、

「何事もやってみる」精神と

それを支えるだけの器用さの両方がなければ出来ないよなあ、と唸ってしまいました。

まあ、無茶苦茶なんですけども。

 

雲母採集しにいって死にかけたあげく勝手に持ち出しちゃうし。

ニッケルがなくて困った結果硬貨を鋳潰しちゃうし。

途中で大幅にルール変更するし。

あげく触ったら感電死するリスクが高い状態のまま公開デモ。

 

我が国ではどっかの段階でどこからか止められてますよ、絶対。

特に最後。

あぶねえ。

そうでなくても、ブログが炎上して終わるという結末を迎えそう。

 

当初著者が考えていた通りの「産業革命前の技術で原料からトースター」は、

言ってしまえば出来ませんでした。

それどころか完成した「トースター」は観客の前で暴走してぶっ壊れる始末。

パンは焼けず。

ということで私がこの本を手に取った時の

「どうやって作ったのそれ!?」という問も前提から砕かれてしまいました。

そりゃそうです。無理ってもんです。

 

 

著者は4ポンドもしない、当たり前の顔をしてそこにあるという意味で、

現代の工業製品の代表たるトースターというものが、

何から、どうやって作られているものなのか、ということを

「身をもって」知ります。

そして工業製品のもっているコストというものを肌で感じます。

 

この日本でも、

完全にゼロからひとりで作れる工業製品など無く、

普通はナイフ一本無理でしょう。

鉄鉱石さえ何とか手に入れば著者と同じように精錬までは行けるかもしれませんが。

刃物にできるかな?

刃物を手に入れようと思ったら、鉱物ナイフの方がまだ可能性ありそうです。

あ、石器時代

 

産業革命前まで時計の針を戻したとして、

日本では江戸時代という話になる訳ですが、

その時代すら職人がいるのであって、

職人の手から出来る品は民芸品とか工芸品であって、

完全に分業体制が進んだ現代社会で

とんでもなく複雑化した工業製品をつくるなぞ無謀です。

何も出来ないのです。

 

我々は、この体ひとつで、この生活を維持する事は出来ない。

 

当たり前の事を噛み締めた一冊でした。