ソラリスー地球外の「知性体」とのコンタクトは可能か?
関東はよりによって明日雪予報ですね。毎年センター試験の日というのは雪になりがちですが、この暖かさの中で狙ったように来なくても。
さて今回はごりごりのSF。後書き曰くポーランド語からの新訳。映画化もされてるらしいですね。
ハヤカワ文庫
地表の9割が「海」に覆われた惑星ソラリス。2つの太陽の周りを周っているのですが、この公転軌道がやけに安定している。調査を続けるうちにどうやら「海」には知性と呼ぶべきものがあるらしいことがわかり、しかもなんと惑星の軌道コントロールすらしているという。人類はこの惑星にステーションを作り調査に本腰を入れているが、あんまりにも何にもわからないので研究がだんだんと下火になってきている。そんな状況です。
主人公ケルヴィンはこのステーションに地球から派遣されてきた心理学者。具体的に何しにきたのかが不明なのですが、遥々訪ねてきた主人公を迎えたのは荒れたステーションとやつれた研究者スナウトでした。事情を聞くとステーションにいた別の研究者ぎばリャンが少し前に亡くなったという。さらに主人公はスナウトから、「研究者ではない誰かに会うかもしれないが、冷静良さを保つことだ」という警告を受ける。何が何だか分からない主人公の前に現れたのは、亡くなった元恋人ハリーだったーーーというイントロダクション。
そんなわけで主人公の奇妙なステーション生活が始まります。どうやらこの「海」からの「お客さん」あるいは「幽体」は各人に「憑いている」らしい。作中に明確に登場するのはハリーだけなのですが、亡くなった研究者に黒人の女性が、もう1人の同僚サルトリウスには子供が憑いている模様です。こいつらは一体何者だ、どうすれば消えるのだと主人公はハリーを検査したりするのですが、一緒に過ごすうちに「このハリー」のことを好きになる。
えええ………ごめんその心変わりついていけない………
だって直前まで「こっちくんな!」モードだったんですよ?えっちょっとまって何絆されてるの。同情ならまだわかりますよどんどん人間っぽくなっていくので。消すのが忍びないっていうのなら理解できます。惚れるかそこで。惚れるのか。そうか。
ハリーはハリーで最初の記憶も何もなくそれでもあなたからは離れられないの、というぼんやりしたした感じから「この私は何者なのか」という疑問を持って思考を始めます。ちょっとずつ自我を獲得していく感じが空恐ろしくも力強い。
このハリーは主人公の脳に残る記憶から「海」が作り出したもので、ハリーそのものではなく「主人公が思うハリー」です。ここで「このハリーをハリーと見做して良いのか、扱っていいものだろうか」という問が出てきます。主人公は「目の前にいる君が好きなんだ」となりますが、本人が「私は偽物だ」という思いを捨てられないんですよねえ。海の賜物であるハリーに恋した主人公、しかし海から引き離して連れ帰ることはできない。物質的には完全に異界の者同士の恋愛です。結末は悲恋ですが、これはもうしょうがないのでは……と感じました。
と、ここまで書いといて何ですが、この主人公とハリーの関係性についてあれこれは小説のメインではありません。このお話のメインは「海」の方です。
まず、視覚的なお話。描かれるソラリスの光景が実に派手でスケールが大きいです。赤と青の2つの太陽と周期的にその太陽に照らされて移り変わる色彩、広い空、海の波、海が造り出す各種の構造体やそのダイナミックな風景。泡立つ水面、ネバついた霧の立ち込める空。
ザ・異界。いやはやギラついていて禍々しさがあるといいますか、色がいちいち濃ゆい。地球と似たとこが何もない。想像力が追いつかない。これ映像化したってマジで???と思います。筆者の脳内を是非覗きたい。どんな光景だろうかと。
続いて海と人間の「コンタクト」。人間サイドは知性を持つらしき海との交流を試みるのですが、海は人間に対して実に気まぐれに振る舞い、当初明らかに人間を認識しているー少なくとも人間の与える刺激に反応するーことがあるかと思えばその後には丸っと無視をする。様々な構造物は生まれるけれど「なんのためのもの」なのか見当もつかずただカタログだけが増えていく。
新しい現象に出会った時の研究の盛り上がりと衰退が結構リアルに感じます。なにせ「海」は何を「考えて」いるのか、あるいはどういうメガニズムが働いているのか分からない。お手上げ、ということです。今回の幽体騒動でいくらか膠着状態は解消される、かな?地球で精神失調者扱いされなければ。それでいくらか分かっても、「コンタクト」からは程遠そうだなあ……と呆然としてしまいます。
「人間形成主義」をいう言葉が出てきます。人間は初めて出会ったものでも「人間」に当てはめて考えようとします。海は脳なのではないか、とか。この構造物はセンサー的なものなのではないか、とか。思えば我々も普段そうしがちですね。我々自身や身の回りのものにとりあえず当てはめます。
そもそも海が何かの構造物を作るのも、お客さんをよこしたのも、「何かのため」であるかどうかすら不明なのです。善意・友好の印・悪意・害意・こちらに対するテスト……いろんなことを見出そうとしますが、その意図なるものがあるかどうかが分からない。いや多分意図はある。自分なりに活動をする。しかし人間の言葉に翻訳できない。だから「人間形成主義」とは壊滅的に相性が悪い。事象を事象として記述しただけのものである「はず」の数学すら通用するか不明。地球とソラリスは、その歴史も形態も何一つとして共有していないわけです。しかも相手は公転軌道すら操作するバケモン。なんか人間より上位の知性っぽい。
……いや、意思疎通とか無理でしょ無理。ここまでくると、どうなったら意思疎通できたのかと言えるのか分からなくない?
未知なるものに対してどう相対するのか、人類の悪戦苦闘、もがき、限界が見所の一冊でした。
あの海の「異変」が何だったのかとか考えてしまうけどなーー!!