幻覚の脳科学 見てしまう人びと ー「ただそこに物がないだけ」

 48時間引きこもりチャレンジしてますか?

 この1週間で情勢がガラッと変わりましたね。 我らが知事から外出自粛要請があったので家でおとなしくしてます。概ねいつもと変わりませんが、今回の土日は「部屋から一歩も出ない」が目標です。

 

 

 というわけで今月3冊目。相変わらず読むの遅いねえ。

  幻覚の脳科学 見てしまう人々

 オリヴァー・サックス著 大田直子訳

 早川ノンフィクション文庫

 

 「タングステンおじさん」のオリヴァー・サックスです。神経学者とは知らなかった。原題は表紙に書かれている通り「Hallucinations」でまさに幻覚の本ですが、幻覚が引き起こるメカニズムについてごりごり解説する医学本ではなく症例集と言った感じです。前書きにもある通り「幻覚アンソロジー」と言って良いでしょう。

 

 幻覚が「頭がおかしい人」の症状というイメージは根強くあります。この強烈なイメージが何によって出来上がったのかについて恐らくはっきりと原因があるわけではないと思われますが、薬物中毒者の症状でもあるせいかと想像はします。それ故に幻視幻聴がある人は「やばいやつだと思われたくない」と黙っている傾向があるそう。

 しかし人というのは案外、簡単に幻覚をひきおこすものであるようです。

 

 例えば、後天的に視力を失った人が見る、時に実に鮮やかで詳細な幻覚(シャルル・ポネ症候群)

 例えば、無嗅覚症に陥った人が「回復」したかのように感じる幻嗅

 例えば、静寂や単調な刺激を受け続けることで聞こえてくる幻聴

 例えば、偏頭痛の前症状として見える特徴的な模様「要塞スペクトラム

 

 これらの状態において、幻覚を感じるその人は精神病ではありません。全くの正気です。だからそれが幻覚と分かれば何とか共存していくこともできます。

 ただ幻覚は一般的に「非常にリアル」で、ほぼ現実と変わらないように感じるものだそうです。しかも想像と違い完全に「外部」にあり自分と無関係で好き勝手展開するものらしく、図形や模様なら鬱陶しいだけで終わりそうですが見る幻覚の種類によっては危ないだろうなあと思います。実際、運転時にあるはずのない「道」が見えてしまった人の例が本書中には出てきます。こうなると大変ですね……。

 

 

 個人的にとても笑えたのは薬物の章。

 

 作者がキメてる。

 

 ここの章の筆の乗り方がすごいんですよ。なにせ体験談なので。実に楽しそうなんですよ。しかも全然反省してないんですよ。

 何なんですか。一昔前の医者って自分でもやっちゃうの珍しくないんですか。規制前とはいえLSDがやばそうだってのは医者だったら分かるんじゃないんですか。好奇心が勝つんですか。スタートがそうだとしてもハマってるじゃないですか完全に!!!!!

 覚醒剤ダメ絶対。著者が帰ってこれたのはあれかね……医者だからかね……加減してたんかね………薬物への反応は人それぞれだそうで、一人として同じ体験せず、また同じ人も同じ体験を二度としないらしいです。ツッコミ疲れる。

 

 

 本書の最後の方に出てくる幻覚は精神的なショックを受けて見るタイプの幻覚で、よくあるのは「身近な人の死」によって見る幻覚。過去への強制回帰であり、戦争のトラウマ、フラッシュバックもこの辺りに属します。

 

 ここで「見えてる」の、完全に「幽霊」なんですよね。

 

 幽霊はいるかいないかなんて話は古今東西暇つぶしの定番ですが、幻覚は外部にあるものなので主観的には「確かに居た」となるのでしょう。我々は脳味噌が見たと思ったものは全部見たことになるのです。

 現実とは何か。「脳がショックを受けて幻覚を見ている」のが正なのか、「幽霊が存在する」のが正か。見えている世界の認識の仕方として、どっちが正しいのか。まあ幽霊という言葉があまりに都合がいいのでどうにでもなっちゃいますねー。

 

 

 宗教の世界では「幻聴」が重要だという話もありました。

 つまり、神様からのメッセージを受け取るためには「聞こえる」必要がある。「お告げ」は見るだけではダメだということです。

  なるほど確かに「未来視」はよく創作にも出てきますが逆にいうとそれくらいで、具体的な指示は言葉がないと伝達は難しいです。命令形の幻覚は精神病にも見られるそうですが、側頭葉にてんかん焦点があっても起こるそうで、「ジャンヌダルクはひょっとして側頭葉てんかんだったかもしれない」というのはそこまで悪い見立てでもなさそうです。

 ジャンヌダルクにとっては、はったりでも何でもなくて、ほんとに聞こえてたんですよ。多分。

 

 しかしこの宗教がらみの幻覚、その気になれば人間が気合で幻覚を見られるということで、何というか人間の脳って簡単にバグるんだよなあ……という感想を持ちました。想像と幻覚の狭間を「修行」により乗り越えてしまうことはどの時代のどの文化圏でもよくあることの模様。

 キリスト教徒ではないので本書中の「そこに神がいるという感覚」とか「天使/悪魔が存在するように見える」とか全然わからないのですが、まあ仏教の「大日如来見た」とか「悟りを開いた」などという感覚と多分大差ないのでしょう。すみませんやっぱり自分には分からないです。

 

 

 盛り上がるポイントがあるようなタイプの本ではないのですが、「人は簡単に幻覚を見る」「割と誰でも幻覚を見る」という著者からのメッセージが全体に行き渡っているような、そんな本でした。