新しい戦争の実態

ちゃりんこのライトが死んでしまっていた。

泣きたい。

さて週末の名古屋との往復の間に読んだ本です。

第一次世界大戦

木村靖二/ちくま新書

WW1本。

前線と銃後の関係から

各国政府の戦時体制確立まで

かなり幅広い内容について書かれている印象。

話の中心はドイツ。

前書きの言葉を借りると

「本書の目的は〜(中略)〜第一次世界大戦史が現在どのような段階に達しているかを示し、

 それによって大戦像がどのように変わってきたかを確認することにある」

です。

一方を断罪する感じではなく、

極力フラットに書こうとしている印象。

尤もほんとに書けてるかは私に判別できませんが。

WW1がどんな戦争だったのか、

全体像をつかむのに良かったと思います。

良本。

かなり知らなかったことを知ることができたという感想。

というよりも、

そもそもWW1について「知らない」ので何もかもが新しい知識。

私も前書きの典型的日本人なので

WW2比べるとWW1の印象は驚くほど小さくて

WW2の前って下手すると日露戦争ぐらいまで飛ぶイメージです。

これでも一応幕末以降の日本史は一度勉強したはずなんですが……

日英同盟に基づき参戦→中国のドイツ領GET→大戦景気→ロシア革命→シベリア出兵→米騒動

日本側の流れはこんなもんですね。

でも欧州からしてみたら「何もかもが変わった戦争」だった。

毒ガス戦車塹壕の登場だけでなく、

圧倒的な物量戦、

市街地での戦闘、

穀倉地帯の焦土化

一般市民からの徴兵と前線への投入、

挙国一致体制の確立、

そして総力戦。

旧来型帝国主義の秘密外交と

「勝ったら○○ちょーだい」

「味方になってくれたら××あげるわ」という

分かりやすく「戦争は外交の手段」の一面も残っていましたが、

「相手の国を潰す」「敵国民の総力を打倒する」という戦争観が出てくるのもこの大戦。

総力戦(Total War)って、動員どうこうよりは

もともとこういう戦争目的を指していう言葉みたいです。

この転換って凄く大きい気がします。

国民国家の弊害かも知れませんね。

排他的になる。

絶滅戦争なんて物騒な言葉が出てきますがそんな感じしますよ。

もともと第三次バルカン戦争であったはずの戦争は、

すぐにその目的を忘れ去られ、

終わってみればロシアオーストリアオスマンの3つの多民族帝国をふっとばし

ドイツも帝政が幕を下ろすという結果となる。

オスマン領を獲得したイギリスフランスは領土こそ最大になるものの

自治を求める声のおかげでかえって縛られることになる。

ヴェルサイユ体制が始まり、国際連盟ができ、

アメリカが台頭し、一方でソ連が成立し……と、歴史は進んでゆく訳ですが

それはまた別の本を。

以下雑感。

恐ろしいのはこれだけぼろぼろの戦争やっても

各国「次」を考えているところだな……こええよ……

ヴェルサイユ条約って今思うと。

ヴェルサイユて。

誰なんすかねえ……ヴェルサイユでやろうって言ったの……

イタリア黒過ぎ。

イタリアまじイカスミパスタ。

このイタリアはヘタリアではない……

いやでも味方として参戦して欲しくはないと

ドイツに思われてる辺りヘタリアなのか……?

というかヘタレてるのオーストリアだろこれ。

どんだけ準備できてないんだよ。

あくまでセルビアだけのつもりだったっぽいんだよなー。

せいぜいロシア。

のんびりしてるというか何というかやっぱり戦争苦手だろこの国。

まあボロボロになるのはロシアも一緒だけどロシアは国土広いからなー

ウクライナは独立しちゃうか……穀倉地帯……

それでも正直オーストリアよりはましかなと思ってしまう。

なぜだろう。

残りの面積か。

なんかバルカン半島巡って戦争に突っ込んだ2国が

ああいう終わり方するって……何といって言いやら……

ドイツ軍つええええええええええええ

アメリカ軍は何しにきたんすかああああああ

国民が最も求めるのは食料です。

ええ。腹が減るのが一番だめです。

ほんとにこれ大事だわ……