科学の方法 - 科学の仕草と作法、そして限界

 如何にもこうにもてんてこ舞っている。

 

 

 

 さて今回は科学随筆。NHKの教養大学講座にて行われた講義の速記録が元、であるらしく、文体が語り口調で書かれており読んでいて脳内で音声が再生しっぱなしでした。

  ちょっと読むときに注意がいるのはこの新書の第1刷が1958年だということです。色々と細かいところが古い。それでも今まで読まれるぐらいのロングセラー。要の部分は今なお大切なお話です。

 

科学の方法 (岩波新書 青版 313)

科学の方法 (岩波新書 青版 313)

 

科学の方法

中谷宇吉郎

岩波新書

 

 そのタイトル通り「科学とはどのような手法の元に作られた物であるか」という方法論が書かれた本。最近常々「『科学』『自然』って結構多義的な言葉な気がする」と思っているのですが、そんな科学の一側面が明確に書かれています。

 

 この本の何が素晴らしいかって、第1章のタイトルが「科学の限界」なんですよ。そもそも科学というのは「自然現象の中から科学に向いているものを取り扱う」ものなので、科学には必然的に限界があるという見方です。ある方法を使うのだから、その方法の限界もありましょう。でもそれを頭に持ってくるの、すごいですよね。

 

 科学的な思考様式は

・分析と総合

因果律的思考

・測定

・恒存

・再現可能性

によって支えられているとしますが、これと反対にあるのが歴史的思考で、特に再現可能性について「一度起こったことは二度と起こり得ない」「完全に同じ条件というのはあり得ない」とする立場です。まあ細かいところまで見ていけば現実問題としてそうですよね。細かいところは我々のスケールで無視できるから実運用上はあんまり問題になってないというだけで。フラスコの中の微小な条件変化に注目していたらやってられないわけです。この「我々にとっては無視できる」という文章は本書の中で繰り返し出てきます。その範囲での測定。再現可能性。

 

 数学は科学か、というのもこの本では扱われています。筆者としては科学ではないものらしいです。なぜならば人間の頭の中で作られたものだから、らしいです。とはいえ数学の抽象化パワーは凄まじいものがあり、また自然のものを量的に扱う際に不可欠なものであり、数式の変換により新しい理論が出てくるのも科学の一面ではあります。数学なしに科学はありません。となるとやはり筆者の言うように「数学の中で自然に合うものを選んで科学に使っている」のだ、と言うことになります。数学の枠の範囲の方が広いと見るのですね。

 個人的には結論自体には概ね賛成なのですが、数学なるものの分類とかよく知らないので……自然との対話を繰り返してる数学ってあるんですかね?

 

 

 科学は客観性を持ち理性的な素晴らしい思考様式なのだ!

 

とドヤるでもなく、

 

 所詮科学なんて偉大なる自然の前では無力だ

 

と腐すわけでもなく、科学の得意な範囲と不得意な範囲を見つめて、科学はあくまでも人間が作ったものである、人間的な要素が多分にあるという一面を穏やかに認めるスタンスはとても誠実なものだなあと感じました。

 

 科学とはなんですか、という問いは珍しい物ではないし、あるシーンで学者さん側から「そんなのは科学的態度とは言えない」などという発言が出るのもよくあることなのですが、そういった時その人はどんな意味で「科学」を使っているのだろうかということを気をつけて見ていかないといけませんねー。

 

 あと常に頭の片隅を「カオス」という言葉がかすめる本です。