レトリックと詭弁 - 「SNSで見たアレ」の正体

 雪が降るとか降らないとか騒ぎになる日が例年より多い気がします。毎日寒いですね。でも桜は早めに咲くらしいですよ。

 

 

 さて普段買わないジャンルの本であるにも関わらずこれを買った時の心境や状況が思い出せないのですが、結構長いこと積んであった本を消化したので記録しますよ。

   レトリックと詭弁 - 禁断の議論術講座
   香西(こうざい)秀信
   ちくま文庫

 

 著者は10年近く前に亡くなられていますが人文学の人で修辞学がご専門。本の厚みとしてはかなりペラペラでして、前書きから参考文献ページまで入れても200ページ強というお手軽さ。文体もこれまた軽いノリで書かれているのでするっと読めてしまう本です。

 前書き曰く、この本のコンセプト自体が「ビジネスマンのための」議論術で、どんな感じかというと、

 

「つまり仕事に忙しく、議論の技術、論理的思考力などの訓練をする時間もエネルギーも、そして失礼ながら根気もない人たちのための、ということです。」

 

 ……おいこれ一番最後のが一番本音だろ悪かったな!!と思うのですが、何が言いたいかというとこういう軽めの、そしてやや皮肉っぽい文章で書かれているため気楽に読める本となってます。

 

 全体の流れは「問いは議論において非常に有効である」「それは問いを発する側が言葉を選べるためである」「では問いがもたらす効果とはどのようなものか、分解して具体例を挙げながら見ていきましょう」という構成で、三つ目が本題になっています。
 本書のサブタイトルは「禁断の議論術講座」となってはいますが、レトリックや詭弁の使い方を身につけるための講座というよりも、議論中、または側から見ていて「あっこのパターンは」と気付けるようになるための本という感じがします。

 

 というのも、一個一個の例を見ていくなかで「twitterで見たぞこの流れ」という感触によく出くわすんですよね……
 twitterを眺めていると大体いつでも誰かが誰かと喧嘩してるのが目の端に入るのですが、それとこの本が結びつくということは大体あそこの喧嘩は詭弁に塗れているということになる?まぁ所詮喧嘩だしな。レスバってやつだ。フォロー先間違えたかな……というような連想に読みながら何度かハマりました。

 

 この本のコンセプトとしてもう一つ挙げられているのは「護『心』術としての」議論術です。無神経な言葉から心を守るため、最低限のプライドを保つためにも「議論」で使われている仕掛けのタネを知っておくことはかなり有効に働きます。
 twitterのあれこれが特に過熱すると「殴り合い」の様子をみせることからも、この感触は間違った連想ではないのかなと思います。

 

 もちろんここから瞬発的にタネを見抜けるようになるためには、そしてさらにタネを踏まえた上で反撃するためにはそれこそ訓練がいるのだと思います。
 それでも議論当事者としてできるだけ詭弁に負けないために、そして第三者として騙されないためにも、問いがなぜ強いのか、という仕掛けをまとめて押さえておくべきでしょう。

 

 しかしSNSに限らず、日常の中で議論するような状況ではおそらく誰でもほぼ無意識に詭弁じみたことを口走るものです。ましてや口論ともなれば自分でも何喋ってるのかわかってないのでは、ということもよくあります。
 であれば、「護心術」を身につけることによって心穏やかに日常を過ごすことができるようになる、かもしれない。逆に日常レベルに持ち込んで反撃するようになると「理屈っぽい」とか言われる、かもしれない。

 この辺りは塩梅が難しいところです。相手との関係性にもよるでしょう。レトリックを見つけても、日常生活の中で反撃するかどうかについてはよく考えた方がいいですね。

 

 ちょいちょい著者の口が悪めですが、その分気楽に読めて良い本でした。